尾道市庁舎本館(1960年築)を支える杭は、木製それともコンクリート製?
● 行政はウソは言わない、それ本当?!
市庁舎新築問題に関しては、吾輩は尾道市をまったく信用していない。元来、行政というものは、市民にウソ(間違ったこと、というべきか)の情報だけは流さないと思っていたが、どうやら認識の甘さであったといわざるを得ないのだ。それも一度であればまだしも、二度も三度も嘘(間違い)が続けば、寛容をモットーするお人好しでも、一度は『虚偽情報はSTOP!!』と声を荒げたくなる。この件に関する実例は、「日本遺産の尾道市がなぜ?!」をご覧ください。
● 市庁舎本館を支える杭は松製と答弁する尾道市
さて、平成27年度12月市議会で、尾道市の担当者は未だに市庁舎本館を支える杭は木製の松杭であると答弁しているという。その「木製杭」だと断定する根拠はどこにあるのか、知りたいものである。
そもそも弱い地盤に建物を建つとき、コンクリート製杭が発明される前までは、木製杭が重要な役割を果たしてきた。古くは紀元前5000年から前500年まで造られた杭上住居群やイタリアのベネツィアは有名だ。
それにしても、市庁舎本館を支えている見えない杭が木製かコンクリート製かを検証することは、尾道市が穴を掘って確認すればすぐに判ることだが、もっと知恵を使ってスマートに情報収集するやり方もある筈だ。
まず、尾道市庁舎本館(1960年竣工)と尾道市公会堂(1963年竣工)の杭伏図というものを見れば、簡単に判るわけだが....。市庁舎本館の杭伏図は京都大学建築学教室増田研究室のもので、担当は当時の日本を代表する建築構造の専門家である横尾義貫、岡本剛両氏である。しかしながら、杭が木製かコンクリート製かの記述はない。一方、岡本剛氏の構造設計による公会堂は、大林組尾道工事事務所で担当は主任眞尾、係員の藤井、藤本各氏でコンクリート杭伏図と明確に書いてあった。
この時点で、市庁舎本館に使われた杭は概ねコンクリート製であろうと推論できる。その理由は、わが国では1934年、JRの前身であった国鉄が成田駅の建設にコンクリート杭を採用したのが始まりだということだ。市庁舎建設の26年も前に、木製より優れた強度をもつコンクリート製杭が発明されていて、日本を代表する建築構造家の二人がそれを採用しないということは考えにくい。まして、市庁舎本館建設の三年後には公会堂建設にコンクリート杭が使われているのだ。
実は、増田友也設計の尾道市庁舎本館と公会堂に関する詳細な論文を藤木竜也氏(千葉工業大学准教授)が発表されていることは存知あげていた。その論文には昭和35年(1960年)4月5日発行の「尾道市政だより」が掲載されていて、市庁舎本館の建設経過を市民向けに写真とともに克明に記述している。
その「尾道市政だより」は、尾道中央図書館に保管されている。とても貴重なものであるが、この年代のものは原本ではなく複写版で見つかった。藤木論文に掲載されていた写真はそのまた複写版のため、写真の粒子が粗く、細部が確認しづらかった。そこで吾が友・西河哲也氏(まちづくりプランナー・東京工業大学非常勤講師)が、図書館に資料接写の承諾を経て写真撮影したものを拝見したところ、かなりの精度で杭が写っており、杭は確実にコンクリート製であると判別できる。左に掲載の三枚の「尾道市政だより」(尾道市立中央図書館蔵)の写真がそれだ。
コンクリート杭は遠心成形による製造のため、中空の円柱体となる。写真ではその特性が明確に写っている。
遠心成形による製造方法とは、鋼製円筒形の型枠にコンクリートを投入し、車軸が回転するように、型枠を高速で回転させ、その遠心力により中空のコンクリート円柱体を製造する技術。コンクリートが均等に締め固められるとともに、余剰水が排出され、良質のコンクリートを製造することができる。 (財団法人 日本建築センター「既成コンクリート杭の変遷」より)
そもそも弱い地盤に建物を建つとき、コンクリート製杭が発明される前までは、木製杭が重要な役割を果たしてきた。古くは紀元前5000年から前500年まで造られた杭上住居群やイタリアのベネツィアは有名だ。
それにしても、市庁舎本館を支えている見えない杭が木製かコンクリート製かを検証することは、尾道市が穴を掘って確認すればすぐに判ることだが、もっと知恵を使ってスマートに情報収集するやり方もある筈だ。
まず、尾道市庁舎本館(1960年竣工)と尾道市公会堂(1963年竣工)の杭伏図というものを見れば、簡単に判るわけだが....。市庁舎本館の杭伏図は京都大学建築学教室増田研究室のもので、担当は当時の日本を代表する建築構造の専門家である横尾義貫、岡本剛両氏である。しかしながら、杭が木製かコンクリート製かの記述はない。一方、岡本剛氏の構造設計による公会堂は、大林組尾道工事事務所で担当は主任眞尾、係員の藤井、藤本各氏でコンクリート杭伏図と明確に書いてあった。
この時点で、市庁舎本館に使われた杭は概ねコンクリート製であろうと推論できる。その理由は、わが国では1934年、JRの前身であった国鉄が成田駅の建設にコンクリート杭を採用したのが始まりだということだ。市庁舎建設の26年も前に、木製より優れた強度をもつコンクリート製杭が発明されていて、日本を代表する建築構造家の二人がそれを採用しないということは考えにくい。まして、市庁舎本館建設の三年後には公会堂建設にコンクリート杭が使われているのだ。
実は、増田友也設計の尾道市庁舎本館と公会堂に関する詳細な論文を藤木竜也氏(千葉工業大学准教授)が発表されていることは存知あげていた。その論文には昭和35年(1960年)4月5日発行の「尾道市政だより」が掲載されていて、市庁舎本館の建設経過を市民向けに写真とともに克明に記述している。
その「尾道市政だより」は、尾道中央図書館に保管されている。とても貴重なものであるが、この年代のものは原本ではなく複写版で見つかった。藤木論文に掲載されていた写真はそのまた複写版のため、写真の粒子が粗く、細部が確認しづらかった。そこで吾が友・西河哲也氏(まちづくりプランナー・東京工業大学非常勤講師)が、図書館に資料接写の承諾を経て写真撮影したものを拝見したところ、かなりの精度で杭が写っており、杭は確実にコンクリート製であると判別できる。左に掲載の三枚の「尾道市政だより」(尾道市立中央図書館蔵)の写真がそれだ。
コンクリート杭は遠心成形による製造のため、中空の円柱体となる。写真ではその特性が明確に写っている。
遠心成形による製造方法とは、鋼製円筒形の型枠にコンクリートを投入し、車軸が回転するように、型枠を高速で回転させ、その遠心力により中空のコンクリート円柱体を製造する技術。コンクリートが均等に締め固められるとともに、余剰水が排出され、良質のコンクリートを製造することができる。 (財団法人 日本建築センター「既成コンクリート杭の変遷」より)
●説明のどちらが信憑性があるのか?!
尾道市が発表してきた市庁舎新築に関する市民向けの情報で、耐震改修を批判する記述には、ほとんど根拠が示されていない。また最近の平谷尾道市長の合併特例債に関する発言は、当初の「補助金のようなもの」から「有利な借金」に変わったと聞く。根拠となるデータを示しながら主張する我々の主張と尾道市長の根拠を示されない説明のどちらが信憑性があるのか。賢明な市民であれば判断がつくことだ。